連日、濁流のように押し寄せる生成AIのアップデート。
ドーパミンを直撃する魅力的な新機能を、いかに実務へ活かすか。
常に思考のCPUをフル回転させ、僕の脳は気を抜くと、慢性的に過熱気味です。
そんな僕が、最もアナログな「坐禅」という行為を、気づけば700日以上続けています。
「で、、、結局なにか変わったのだろうか。」
残念ながら、宙には浮けないし、未来も見えません。
けれど、断言できる変化が1つ。
それは、「脳内OSのパフォーマンスが劇的に向上した」という実感。
精神論やスピリチュアルな話をするつもりはありません。
あくまで「脳のメンテナンス」という実利的な視点で、 2年間の人体実験で得られた、思考のクリア化と、生活への実装方法についてログを残したいと思います。
では、いきましょう!
約2年、毎日瞑想をして何が変わった?
座蒲(ざふ)と呼ばれる、坐禅専用の丸いクッションの上で足を組む。
そこで、ただ呼吸に意識をむける事、700日。
「で、結局何が変わった?」
「悟りは開けたの?」
正直なところ、数値化できる具体的変化を示すこともできなければ、悟りを開くつもりは毛頭ございません。
けれど、確実に変わった実感があります。
あえて僕らの領域の言葉で表現するなら、「脳内OSのパフォーマンスがすこぶる向上した」ということ。
具体的にどういうことか、スペックの変化を少し言語化してみます。
ストレージの空き容量増加(重要なこと以外、脳に留めなくなった)
一番の変化は、「自分にとって重要なもの以外、自然と脳に残らなくなった」こと。
ふとした瞬間にフラッシュバックする過去の出来事や、不透明な未来への不安。
以前は、こうした「心のノイズ」を無意識のうちに溜め込んでいました。
たとえるなら、不要な画像や動画で容量がパンパンになったスマホ。
当然、動作は重く、鈍くなります。
これと同じことが脳でも起きていたわけです。
しかし、瞑想で「雑念を手放す」感覚が馴染んでくると、脳の設定が変わります。
ネガティブな情報が入ってきても、保存ボタンを押さずに、そのままスルーできるイメージ。
どうしても気になるタスクがあれば、脳ではなくNotion(メモアプリ)などの「外部」に一旦預けてしまえばいい。
「自分の頭の中に置いておかなくていい」という判断が、呼吸レベルで早くなるのです。
「忘れよう」と力む必要はありません。
優秀なクリーナーアプリを入れたときのように、不要なキャッシュ(一時データ)が自動的に消去されていく。
結果として、本当に大切な思い出やアイデアだけが、クリアに保存されている。
常にサクサク動く、クリアで快適な脳内環境になってきた実感があります。
このクリアな感覚。
見える景色そのものが変わってくるので、本当におすすめです。
メリハリのある生活
脳のストレージが整理されたことで、日々の時間の使い方も変わりました。
意識しているのは、瞑想を特別な儀式にせず、「システムとして生活に実装する」こと。
具体的には「25分作業+5分休憩」のサイクル。
ポイントは、「キリが良くても悪くても、タスクを強制終了する」ことです。
「キリの良い箇所までタスクを進めたいー!」という欲求を断ち切り、無慈悲にプロセスを止める。
これが、脳のスイッチを物理的に切り替える良いトレーニングになります。
休憩の5分間はスマホを見ず、椅子に座って軽く目を閉じる。
酷使した脳のメモリを解放し、再起動する感覚です。
これだけで、次の集中力が段違い。
1日の終わりには「シャットダウン」の儀式も欠かせません。
寝る前の5分〜20分、座蒲(ざふ)に座って交感神経を鎮める。
集中してもしなくてもそんな事は気にしません。
「サボりたい」という感情の入る余地をなくすため、「脳死」でスケジュールに組み込むのがコツ。
歯磨きのように淡々とこなす。
このルーティンが、仕事と休息の境界線をくっきりと引き、生活に心地よいメリハリを生んでいます。
瞑想の効果のエビデンス【2025年11月現在】
「感覚的な話はわかった。で、そのロジックは?」
マーケターという職業柄、どうしてもエビデンスがないと腹落ちしない性格です。
僕がこれほど長く座蒲の上に座り続けているのは、単に気持ちいいからというだけでなく、「脳科学的・生物学的に合理的な投資である」という判断しているからです。
現時点(2025年11月)で、僕が特に信頼を寄せているエビデンス(科学的根拠)をいくつかシェアします。
DMN(デフォルト・モード・ネットワーク)の鎮静化
これが最大のメリットです。
脳科学の分野では、人間がぼんやりしている時でも脳のエネルギーの60〜80%を消費していると言われています。
このアイドリング状態の脳回路が「DMN(デフォルト・モード・ネットワーク)」です。
スマホで例えるなら、「画面は消えているのに、裏で大量のアプリが通信し続けて、バッテリーが勝手に減っていく状態」。
何もしていないのに「なんだか疲れたな」と感じるのは、このバックグラウンド処理でエネルギーが浪費されているからです。
最新の研究では、瞑想(マインドフルネス)がこのDMNの過剰な活動を抑え、脳のエネルギー浪費を防ぐことが示唆(しさ)されています。
要は、「ただ瞑想を続けているだけで、脳の省エネモードが最適化される」ということ。
やらない手はありません。
扁桃体(ストレス反応)の縮小
「扁桃体(へんとうたい)」は、不安や恐怖を感じた時に反応する脳の部位です。
継続的な瞑想によって、この扁桃体の密度が減少し、過剰な反応が抑えられるという研究結果があります。
僕自身、以前なら何かイレギュラーな事案が起こった際、即座に反応してしまう傾向にありましたが、最近は「うむ、なるほど。」と一拍置けるようになったのは、この物理的な脳の変化によるものが大きいと考えています。
精神論ではなく、脳のハードウェア自体を「ストレス耐性仕様」に作り替えるイメージです。
グローバル企業の導入実績
ご存じの方も多いと思いますが、Googleの「SIY(Search Inside Yourself)」をはじめ、AppleやMetaなど、名だたるテック企業がこぞって瞑想プログラムを導入していいます。
彼らは「スピリチュアル」な観点で導入しているわけではありません。
「生産性とメンタルヘルスの向上」という明確な投資対効果が見込めるからこそ、リソースを割いているのです。
テクノロジーの頂点にいる彼らが、アナログな瞑想に回帰している事実。
これ以上の説得材料は、他にはないはずです。
最高に整う。おすすめの瞑想ルーティン
「整う」ための方法は無限にありますが、僕がトライアル&エラーを繰り返してたどり着いた、2つの最適解をシェアします。
合法的チート瞑想法
ひとつ目は、特定の条件下で発動する「合法的チート」とも呼べる手法。
それは、「強度の高い有酸素運動の直後」に行う瞑想です。
僕の場合、仕事終わりの水泳がそのスイッチ。
やるべき事もやり、思考が散らかりにくい時間帯かつ、有酸素運動直後は、ゾーン状態に入りやすい瞬間です。
きっかけは、以前通っていたブラジリアン柔術での怪我でした。
リハビリがてらプールに通い始めたのですが、そこで思わぬチートな瞑想法を見つけてしまったのです。
息が上がるまで泳ぎ込み、熱い&冷たいシャワーを浴びる。
心拍数が落ち着いていく過程で訪れる、強制的な脱力状態。
このタイミングで行う瞑想は、恐ろしいほど深く、一瞬でゾーンに入れます。
マラソンやハードな筋トレの後でも代用可能ですが、水泳後の独特な浮遊感が個人的にはベスト。
夜のプールサイドは幸い、人もまばら。
恥ずかしげもなく堂々と、坐禅を組んで整えています(笑)。
どこでも出来る。ベーシックな瞑想法
もちろん、毎日プールには行けませんし、チートではないベーシックな瞑想法で訓練していく事がとても大事。
日常のベースとなるのは、デスクや移動中でも可能なシンプルな呼吸瞑想です。
準備はイヤホンひとつ。
YouTubeで「禅 bgm」と検索し、流れてくる音に身を委ねるだけ。
やることは「ただ呼吸に意識を向ける」だけですが、僕なりのコツはイメージング(視覚化)にあります。
「後頭部の少し下の位置を中心として、半円状のドームが自分をすっぽりと覆う」ような感覚。
半径3メートルくらいの大きさが僕にはちょうどいいのですが、この視覚化に正解はないので、各々の最適解を見つけてみる事をおすすめします。
この透明な「結界」の中に意識を閉じ込め、外界のノイズを物理的に遮断するイメージを持つと、自分だけの空間が確保しやすくなります。
これが一番、今の自分にはしっくりくる設定です。
もし呼吸のリズムに迷うなら、「4-7-8呼吸法」もおすすめ。
4秒吸って、7秒止めて、8秒かけて吐く。
「数字を追う」という単純なタスクが、思考がアチコチへ飛んでいかないよう、しっかりと繋ぎ止めてくれます。
坐禅を続けるってキツい?
「こういう類の取り組みは、続いた例(ためし)がないんだよね。」
「毎日の坐禅なんて飽きるでしょう?」
そのような反応をもらう事がまれにありますが、今のところ飽きません。
というか、飽きたかどうかを一切気にせずにただ脳死で取り組んでいます(笑)。
しかし、最初からスムーズだったわけではありません。
むしろ、現代人の身体と脳にとって、坐禅は「異物」そのもの。
当然、拒絶反応も出ます。
僕が直面した壁と、それをどうハックして乗り越えたか。
3つの観点で解説します。
「身体の痛み」について
まずはハードウェア(身体)の問題。
本来、坐禅の基本姿勢は「結跏趺坐(けっかふざ)」や「半跏趺坐(はんかふざ)」と呼ばれる組み方です。
しかし、デスクワークで凝り固まった僕の身体には、これがキツい。
股関節の可動域は狭く、足首は悲鳴を上げ、臀部(でんぶ)や膝には鈍い痛みが走る。
正直、最初の数分で心が折れそうになっていました。
ここでの正解は、「フォームに固執しない」こと。
無理に足を重ねようとせず、軽くあぐらをかくだけでも十分。
痛みで集中力が散漫になっては本末転倒です。
僕自身、最初はあぐらからスタートし、徐々に可動域を広げていきました。無理なく「半跏趺坐」を組めるようになるまで、約1年。
身体というハードウェアのアップデートは、焦らずゆっくり進めればいいんです。
「飽き」について
次はソフトウェア(心)の問題。
ショート動画のような、強烈な「ドーパミン的刺激」に慣れた脳にとって、ただ座るだけの時間は退屈そのものです。
続くコツは、「プラス要素の刺激を求めない」こと。
「今日はすごい発見があるかも」
「気持ちよくなれるかも」。
そんな期待は捨ててください。
瞑想はエンタメではありません。
うまくやろうともしない。
ただ、退屈であることに「気づく」だけでいい。
モチベーションという不確かな燃料に頼るのは、システムとして脆弱です。
「やる気」に関係なく、ただ決めた時間に、決めた場所に座る。
感情を排してタスクを処理する感覚が、継続のカギです。
「集中できない日」の対処法について
「今日は全然集中できない…」
そんな日も当然あります。
脳内がノイズだらけで、10分が永遠に感じるような日。
対処法はシンプル。
「集中しなければいい」のです。
「集中しなきゃ」と力むと、それが新たなノイズになります。
集中できなくても、ただ座って、タイマーが鳴るまでその場にいるだけでOK。
「今日はノイズが多い日だな」と客観視して、終了。
成長も進化も求めずに、とりあえずやる。
瞑想による脳のOSアップデートは、ある程度の期間続けないと体感できません。
日々の出来不出来に一喜一憂せず、長い目で「自分自身の変化」を待つ。
無理せず、淡々と。
それが結局、最強の継続のカギになります。
瞑想を習慣化したコツ
繰り返しになりますが、「瞑想」は結局のところ「続けなければ意味がない」のが本音です。
とはいえ、毎日歯を食いしばって努力する必要はありません。
むしろ逆。
頑張らない。
意識を高くしない。
徹底的にハードルを下げ、習慣化し、やらないと気持ち悪くなる状態にする。
それが僕のやり方です。
「5分でもいい」を積み重ねるハードルの下げ方
最大の敵は「ちゃんとやらなきゃ」という完璧主義です。
「今日は20分座る時間が取れないから、やめておこう」
これは最悪のパターン。
僕は「5分でも、なんなら1分でもいいから座る」というルールにしています。
1分だけとやり始めたら、結局10分でも20分でもやれるものです。
ロンドン大学の研究によると、新しい習慣が定着するまでには平均して「66日」かかると言われています。
約2ヶ月。
この期間を乗り切るまでは、クオリティなんて二の次で構いません。
集中できなくてもいい。
雑念だらけでもいい。
座蒲の上に座り、「瞑想しているフリ」をするだけでもOK。
まずは「座らないと気持ち悪い」という状態になるまで、極限までハードルを下げて、回数だけを稼ぐ。
質を問うのは、習慣化というOSがインストールされた後で十分です。
「気軽に通える」お気に入りの寺を見つける

自宅でも瞑想はできますが、お寺という空間の「没入感」は別格です。
塵(ちり)ひとつなく磨き上げられた床。
風の音しかしない静寂。
その中で、仏像の優美な曲線が、薄暗い本堂に浮かび上がります。
視覚的には「優雅で華やか」なのに、不思議とノイズにならない。
この圧倒的な「美」と「静」の空間に身を置くだけで、張り詰めた神経が解け、脳のスイッチが勝手に切り替わる。
数百年磨かれた、洗練された空間がそこにあります。
僕は、家の近所にあるお寺、3か所で定期的に瞑想をしています。
お寺という空間は、数百年前から「静寂」のためにデザインされた最強の施設。
ここを使わない手はありません。
ちなみに僕が通っているのは、たまたま3か所とも、真言宗のお寺。
なので正確には「坐禅」ではなく、「阿字観(あじかん)」や「阿息観(あそくかん)」と呼ばれる瞑想スタイルです。
最初は「禅宗じゃないけどいいのかな?」と思いましたが、結論、宗派なんて気にする必要はありません。
重要なのは、静かな空間で、自分と向き合う時間が確保されているかどうか。
あなたの住んでいる「エリア×寺×瞑想」で検索してみてください。
意外に多くの近所のお寺で、一般向けのセッションが開催されていることに驚くはずです。
週末の朝夕、ふらっと近所のお寺へ行き、ただ座って帰ってくる。
これが最高の気分転換になります。
「長い目」で身体を整えていく
禅の世界には「調身・調息・調心(ちょうしん・ちょうそく・ちょうしん)」という言葉があります。
まずは身体を整え(調身)、次に呼吸を整え(調息)、最後に心が整う(調心)。
順番が大事なんです。
習慣化が進んできたら、少しずつ「ハードウェア(身体)」のメンテナンスにも目を向けてみてください。
身体が硬いと、座っているだけで膝や腰が痛くなり、それが「心のノイズ」になります。
お風呂上がりに軽くストレッチをして、股関節を柔らかくする。
これだけで、座った時の安定感が劇的に変わり、瞑想の深さが変わります。
ただし、ここでも「毎日30分ストレッチ!」なんて意気込みは不要。
続かなくなったら元も子もありません。
6ヵ月~1年という長いスパンで、少しずつ身体の可動域が広がればいい。
焦らず、ゆっくりと身体をアップデートしていくイメージが正解です。
結論。瞑想は「イマココ」のチカラが研ぎ澄まされる
700日以上、座蒲の上で過ごして得たもの。
それは結局、「今、この瞬間(イマココ)」への解像度です。
一番の実感は、「今、自分にとって重要でない情報」に、思考が向かなくなったこと。
以前なら無意識に脳のリソースを食いつぶしていた「どうでもいいこと」。
それらが視界に入っても、フックにかからず流れていく。
仮に突発的なノイズが発生しても、「あ、今ノイズがあるな」と客観的に気づき、即座に手放す力がつきました。
おかげで、仕事においても、家族との時間においても、余計な雑念はかなり消えました。
(その代償として、色々な情報を手放しすぎてしまい、家庭内でのおとぼけキャラ度は増す一方ですが…)
遠くにある「明確なビジョン」は見据えつつ、実行するのはあくまで目の前のタスクや、目の前の子供との会話だけ。
未来や過去に思考をもっていき過ぎず、ただこの瞬間にフルダイブできている状態。
これが、すこぶる調子がいい。
「整う」という言葉だけでは片付けられない、人生の解像度が上がったような感覚です。
- 常に複数のタスクに追われ、脳がマルチタスクで悲鳴を上げている人
- スマホの通知が気になり、常に何かに反応していないと不安な人
- 「何もしない時間」を、生産性がないと感じて怖がってしまう人
- 自分の脳のスペック(OS)を、もう一段階アップデートしたい人
上記に心当たりがある人は、ぜひ瞑想をしてみてください。
特別な道具はいりません。
そこにあるのは、驚くほど静かで、自由な「自分だけの世界」です。
